井上糀店とは
井上糀店は180年以上薪や釜戸を使用する昔ながらの製法で、無添加の糀やお味噌を手作りしている高知県四万十町にある糀屋です。
文政元年創業
井上糀店の歴史は文政元年、初代 井上喜久蔵が高岡郡高岡町から、高岡郡仁井田郷六反地新町に転居したことから始まります。屋号は入吉屋、この地で糀を作るために転居したと伝えられています。
7代目 井上雅恵 プロフィール
糀屋の娘として育ち、幼少の頃は井上糀店の作業場が遊び場でした。蒸し出しの時間には、祖母に蒸し米をギューッと握ってもらって食べさせてもらったり、曾祖母が石臼で豆を挽くのを手伝ったり。幼馴染と野山を駆け巡り、暗くなるまで帰らず母に心配をかけたことも。あまり裕福ではなかったけれど、あったかい幼少時代だったと思います。
昔は糀がたくさん売れて、開店前には行列ができていたとか、裏山に糀屋道があったとか、思い出話を聞いたことはありましたが、私の幼少期には既に糀文化が下火になってきていたこともあり、井上糀店を継ぐことは考えていませんでした。学生時代から「この先、井上糀店はどうなるんだろう?」という不安は何となく感じていました。
大学へ進学後、大手半導体会社にエンジニアとして20年勤務、家業を継ごうと決意したキッカケは、2010年に祖父母の介護が必要になり、母一人で続けてきた家業を廃業しようかという話が持ち上がったからです。
幼いころの糀造りの風景がなくなるのは、何だかとってもイカンことのように思いました。
その同時期に、務めていた会社に早期退職制度ができ、自己都合での退職よりも優遇された条件で退職できること。そして、娘が小学生から中学生になる丁度いいタイミングだったことが背中を押してくれました。
2011年4月に家業を継ぐべく、四万十町に帰省。
効率化とは真逆の製法
仕事を継ぐことになったとき、「糀造りを発酵器で、大豆は釜戸で炊いていたのをガスの圧力釜で蒸して」と効率化を考えました。実際に、圧力釜は業者さんに来てもらって、設置場所まで決めていたのですが、丁度その頃東北の地震3.11がおきました。
色々なことを思い返し、「電気やガスでの効率化よりも、災害時にも直ぐに対応できる昔ながらの薪と釜戸と木桶の製法を守っておくべきだ」という結論に至りました。
何より炊き出しすることができるので、うちのご近所さんはご飯と味噌汁(作ってますのでね)は災害時でも食べられる!
そういう経緯で、未だに製法を変えることなく糀造りをしております。
伝統を守り続けること
昔ながらの作り方で、道具も私よりも年配の道具たちをの年よりも古いものを使って作っています。それらは残していかなくてはと思うんです。
時代に合わせた衛生管理の見直しは必要ですが、製法は変わらず守り続けていきたいと考えています。
そして「井上糀店」は四万十町にある地元の糀屋なので、「地元に貢献する。地元のひとに知ってもらう。」を大事にしています。そして、地元に愛される商品を全国にも届けていきたいと思っています。
守るべきところと、変えるべきところを見極めながら「次の世代にどう繋げていくか」をいつも考えながら仕事をしています。
糀屋として目指すもの
井上糀店として「昔ながらの調味料は身体にも良いし、美味しいよ」ということを皆さんに伝えていきたい。
伝統のものなので、やっぱり日本人には合うし、身近にある調味料です。
これからも日本の古き良き食文化を紡いでいくために発信し続けていきます。
当店の商品を手にとってもらったり、味噌作りの体験教室を通して、みなさんに糀や味噌作りを知ってもらえると嬉しいです。